土佐硯について

 昭和41年、書家であった新谷健吉氏により原石が再発見され、関心を抱いた数名によって硯作りが始められました。書に携わる方々にその硯を贈り届けたところ非常に喜ばれ、その評判はまたたく間に広まっていきました。
 その後、県や村、森林管理局(旧営林署)の協力を得て、原石の採石、作業所の建設、機器の導入が行われ、昭和57年に現在の三原硯石加工生産組合が設立されました。
 国内の硯産地での研修や、著名な作硯師による技術指導を受けるなどして、日々研鑽に励んできた結果、「土佐硯」の名は広く全国に知られるようになりました。優れた石質に加え、ひとつひとつ丁寧に作る手仕事に高い評価を得ています。
 重厚な硯、軽妙な硯、創意と工夫を織り交ぜた表情豊かな多様な硯を現在も作り続けています。

 石質が比較的安定している三原石であっても、石はそれぞれに異なる個性を持っています。その特徴を的確に見極め、石が具えた性質を引き出すことが、硯職人の仕事となります。
 石はそのままで十分に美しいものですが、人が手を掛け、役割と働きを与えることにより、一層の美しさが現れ出ます。
 職人は石と対話するようにひと彫りひと彫り彫り進め、秘められたその輝きを削り出していきます。そうして出来上がった硯は、単なる「もの」ではない、特別な趣きを持つ存在となります。
 石の生命がそのまま宿った硯。人と共鳴し合う硯。そのような硯作りを目指して、日々真摯に石と向き合っています

 三原石は高知県の西端、三原村源谷の山深い渓谷にその抗脈を有します。
四千万年以上前という現在の日本列島が形成されるはるか以前に海底で圧し固められた堆積物が、その後の地殻変動により大陸側に押し付けられるようにして現在の地表面に露出したと考えられています。
 三原石は泥岩の中でも黒色粘板岩に分類され、石英を主成分として、黄鉄鉱、赤鉄鉱などの鉱物を含んでいます。硬度の高い石英が形成する微小な突起構造は「鋒鋩(ほうぼう)」と呼ばれ、墨の下り具合の良し悪しを決定します。

 全国の伝統産業の現場と同様、土佐硯も需要の低迷、職人の高齢化、後継者の不足などにより、厳しい状況に立たされています。
 日常生活で目にする場面は少なくなり、硯は忘れ置かれた存在となりつつあります。
 しかしながら、近年では手書きのよさが見直され、書道人気が再興していると伝え聞きます。精神を修め養う書道文化がさらに多くの人々に届くよう、その一端としての役割を果たしていく心構えでおります。
 文化や伝統の担い手であることを自覚し、今後も努力を重ねてまいります。